
1994/5/27。ふたご座。静かで病弱な子だった。夢はウルトラマンティガ。
1994/5/27。ふたご座。静かで病弱な子だった。夢はウルトラマンティガ。
小学校から高校までの10年間、野球を続けた。県大会ベスト4まで進み、成績を残したが、その反動で左の肩を負傷する。
左肩を治すため、かかりつけ医からリハビリとしてヨガを勧められ、仙台のヨガクラスに参加。
野球で辛いトレーニングを重ねていたので「ヨガなんて楽勝」と思っていたが、体幹がガタガタでポーズが全くとれなかった。
18歳にして初めて内側の筋肉の存在に気づき、ヨガの奥深さにのめり込む。
上京してから、代々木のヨガスクール「UTL」に通い始める。ここでアシュタンガヨガなどのストイックなヨガにハマる。
よく通っていたクラスの先生から「あなたはヨガの先生に向いている」と言われ、ヨガインストラクターの養成講座をUTLにて受講し、18歳で資格を取得する(当時、最年少取得者)。
ヨガ業界を知りたくて、老舗ヨガスタジオである「Lotus8」にダメ元で「スタッフをやらせてください」と電話する。当時の採用者からお坊さんがスタッフをやるのは面白いと言われ、スタッフとして採用される。
3年間勤務して、ヨガ業界の様々な状況を裏方の視点から見る。
葬式仏教と揶揄されてきた、これまでのお寺のあり方に疑問を感じ、お寺の新しいあり方を探究するため、臨床宗教師の養成講座を受講する。
「私はなぜ死ななければならないのか?」という人生最大の痛み(スピリチュアルペイン)を抱える人たちの話しを傾聴し、答えのない問いに向き合い続ける姿勢を学ぶ。
仏教のことが知りたくて、仏教大学である「大正大学」の大学院で2年間、ひたすらお経を読み続ける。
「死」について、お経ではどのようなに書かれているかを深く探究し、修士論文では真言宗に伝わる、死の間際の作法「臨終行儀」についての論文を書く。
ヨガのポーズをただ取るだけでは限界を感じ、Odaka yogaの波のように動くヨガのポーズをOdaka yoga創始者のロベルト師から直接学び、「呼吸に導かれるように動く感覚」を理解する。
ヨガのポーズのその先を垣間見る。
ご縁をいただき、東京の各寺院にて寺よがを始める。
整った空間であるお寺で、“瞑想”をコンセプトにヨガを提供する。
築地本願寺様や威徳寺様など港区を中心に6ヶ寺の寺院にて寺よがを伝える。
瞑想を奥深く理解するため、マインドフルネス瞑想を伝える藤井隆英師から、マインドフルネス提唱者であるティクナット・ハン師が伝える源流のマインドフルネスを教わる。
現代の瞑想には意図があることを知る。
インドから伝わる瞑想「ヴィパッサナー瞑想」を知り、千葉の道場で10日間の瞑想を実践する。
1日10時間、座り続けていくことで「集中」とは何かを肌で体感する。
さらに内側の静けさにも気づくことができ、経典に書かれていることが本当だったということに気づく。
生涯の師であるクリシュナ・グルジに出会う。インド古来のヨガを学び、現在の寺よがの根幹となる教えを学ぶ。